「明和義人伝~モダンタイムズ~」第27回 : 藤田 友和さん

プロフィール

藤田友和さん
そら野ファーム代表取締役社長/米・食味鑑定士

1977年新潟市西蒲区生まれ。大学卒業後、新潟の農業機械整備・販売会社に入社。7年間の業務経験を通じて農家の豊かさと魅力を再発見し、2007年に有限会社そら野ファームに入社。2016年に「そら野テラス」をオープン。直売所、カフェ、農業体験を通じて地域農業の魅力発信と持続可能な農業経営に取り組んでいる。

新潟市西蒲区の田園地帯に佇む複合型農業施設「そら野テラス」。2016年のオープンから9年が経ち、地元住民に愛される存在として定着しています。農業法人として前例のない施設をつくり、「農業のイメージを変えたい」という信念を貫くのが、そら野ファーム代表取締役社長を務める藤田友和さんです。農業に関わる思いの変化、これまでの軌跡を伺いました。

農家とお客様とつなぐ架け橋に

藤田さんが運営されている「そら野テラス」について教えてください。

 

藤田:
「そら野テラス」は農業法人が運営する施設として、主に4つの柱で構成しています。約120軒の地元農家さんの新鮮な野菜や果物を販売する直売所「そら野マルシェ」、おにぎりや団子などの加工品を扱う「そら野デリカ」、地元農産物を使ったカフェ「農園のカフェ厨房 トネリコ」、そしていちご狩りなどの農業体験「そら野農園」です。
「そらと野のおすそわけ」というコンセプトには、この土地が持つ大きな空と広大な田園風景を、お客様に分かち合いたいという想いを込めています。農家さんの名前入りバーコードシールで生産者を「見える化」しているため、「◯◯さんの枝豆が欲しい」といった具体的な要望も多く、生産者とお客様をつなぐ架け橋の役割を果たしています。

 

オープンから9年間の中での変化は。

 

藤田:
基本的な運営方針は変わっていません。オープン以来、地域農業の発信基地として、農家さんはもちろん、お客様にも喜ばれるお店を目指してきました。BtoCの直接販売により、お客様と直接つながっているのが弊社の最大の強みです。近年は若手農家の出荷も増えており、赤塚、潟東、西川、巻地区などから参加してくれています。

農業への嫌悪から尊敬への転換

農業は代々続く藤田家の家業だったそうですね。幼少期は農業がお嫌いだったとか。

 

藤田:
本当に嫌で嫌でしょうがありませんでした(笑)。朝早くから農作業の手伝いをさせられ、ゴールデンウィークは毎日田植え。周りの友達は遊びに行く話をしているのに、自分はその話についていけない。「なぜ自分だけが」という思いが強く、農業に対する憎悪すら抱いていました。絶対に農業に関わる仕事に就きたくないとさえ思っていたんです。

 

大学卒業後は農業機械販売会社に就職されたそうですが、その当時の気持ちの変化は。

 

藤田:
東京での就職を希望しましたが、落ちこぼれ学生だったため、全て不採用だったんです。偶然届いた求人案内で、県内の農業機械販売会社に応募したら、たまたま内定をいただきました。就職後は、機械整備を3年、営業を4年担当しました。営業で様々な農家さんに出会ったことが、農業に嫌悪感を持っていた、私の人生を変えたと思っています。
また、営業で回る中で、しっかりと収益を出し、自立した経営を行なっている農家さんの存在を知りました。お取引させていただいていた農家さんはみなさん本当に温かく、農業の豊かさを実感する機会になりました。農業が大嫌いでしたが「こういう生き方もいいな」と。

 

就農の決断もその時でしょうか。

 

藤田:
実はお酒の席で父親に「会社を辞めて、親父の会社に入るとしたらどうする?」と相談したところ、即座に「そうしろ」と返されたんです(笑)。2007年、29歳の時に父が設立した農業法人に就農しました。もし他の業種で働いていたら、絶対に農業には戻らなかったでしょうね。農業機械の販売・営業という「農家に触れつつ、農業を外から見る」経験があったからこそ、農業の可能性と魅力を再発見できたと思っています。

直感を信じ抜いた「そら野テラス」構想

2007年に就農し、「そら野テラス」をオープンしたのは2016年。9年の間にどのような構想を練ってこられたのでしょうか。

 

藤田:
就農後、稲・大豆の生産をがっつり5年間担当し、その後「越後西川あぐりの里」という小さな直売所と加工所の運営を任されました。野菜やおにぎり、お餅、ジャムなどの販売を行いながら、いちご狩りも行っていました。けれども、当時の建物・設備ではお世辞にも心地が良いとは言えず、お客様は買い物やいちご狩りが終わるとすぐに帰ってしまうのが悩みでした。この場所に「せっかく来ていただいたお客様にもっと心地よく、ゆったりと過ごしてもらえる場所があれば」と考えたのが「そら野テラス構想」の始まりです。
当初、市役所に相談したところ「カフェは農地に建設できないため、現在の場所では不可能です」と言われました。転機は2014年の国家戦略特区指定ですね。新潟市が農業特区に指定され、農家レストランを農地に建設できる規制緩和が実現しました。

 

オープンまでの準備はどのように進めていったのでしょうか。

 

藤田:
毎週のようにデザイナー、建築家、プランナーとチームで集まり、方向性を話し合いました。「そら野テラス」という名前も建築家の方が考えてくれました。
反面、周囲からは「無謀だ」と言われました。田んぼの真ん中に高額な設備投資をしても、お客なんて来るわけがないと。ですが、私としては直感的に「絶対大丈夫!」という根拠のない確信がありました。なぜ?と言われても答えづらいのですが……(笑)。本当に直感なんですよね。

 

事業計画では3年後に客数8万人で売上1億円という目標だったそうですが、それを1年目で達成したそうですね。藤田さんの中で、0から1を生み出すために最も重要だったこととは。

 

藤田:
まず「明確な目標設定」です。「ここにそら野テラスをオープンさせる」という基本コンセプトがブレなかったからこそ、失敗があっても修正できました。目標に向かって情報のアンテナが立ち、全国はもちろん世界の店の運営方法やメニューの見せ方ばかり見ていました。良いところは全部参考にしましたね。
もう一つは「外部の目線の活用」です。農業に関わっていない人たちの視点を積極的に取り入れました。既存の常識にとらわれない発想を生む、行動と環境が大切だと感じます。

 

働く環境の改善にも心がけているとお聞きしました。

 

藤田:
「笑顔で安心して働ける会社を作る」という経営理念を掲げています。そら野テラスで働く約50名のスタッフのほぼ全員が女性のパートタイムですが、新しいスタッフが入るたびに「スタッフ同士、必ず仲良くしてくださいね」と伝えています。というのも、スタッフの雰囲気が店の雰囲気を決めるからです。一般のお客様はもちろん、農家さんや業者さんに至るまで、そら野テラスに関わる全ての人を「お客様」として扱い、農家さんや業者さんが来てくれたら必ず「ありがとうございます」とお礼の気持ちを伝えることを徹底しています。

地域農業の未来を担う使命感

地域の農業においては、今どういった課題がありますか。

 

藤田:
水田農業における、離農農家の急増です。この数年、離農を決断される農家さんが相当増えています。地域農業においては、まず「地域の農業・農地を守る」ことが最優先課題です。新しい農業技術の導入、周辺農家との連携強化、農地の集約化による効率向上に取り組んでいます。また、地域農業の受け皿としての機能を強化していきたいですね。他に引き受け手がいなければ、田んぼは荒れてしまいますから。

 

今後の展望をお聞かせください。

 

藤田:
「農業のイメージを変えたい」という想いが原動力であり、展望でもあります。幼少期に抱いた農業への否定的感情が、逆に強いモチベーションになっているかもしれません。来店されたお客様から「道の駅と間違えた」「農業法人だと忘れていた」という声をいただくこともありますが、これも農業に対するイメージ変革の成果だと捉えています。お客様が「雰囲気が良い」「楽しい」「また来たい」と感じることで、農業への印象が少しでも向上するといいですね。「そら野テラス」で農業の魅力を発信し続け、地域農業全体のプラットフォームとしての役割を果たしていくことが私たちの使命です。

 

素敵なお話をありがとうございました!
最後に、明和義人祭へのメッセージをお願いします。

 

藤田:
恥ずかしながら、これまで明和義人祭について詳しく知る機会がありませんでしたが、今回初めてその歴史や意義に触れました。町民の勇気と自治の精神が現代まで受け継がれていること、そして市民が自らの力で地域の課題に立ち向かった過去とそこから生まれた誇りや絆が、今も新潟市民の間に息づいていることに深く感銘を受けました。今後もこの伝統行事が地域の歴史や文化を次世代へとつなぎ、多くの人々の交流と地域愛を育み続ける場となることを心から願っています。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。