「明和義人伝~モダンタイムズ~」第24回 : 永井 大地さん

プロフィール

永井 大地さん
株式会社モアソビ 代表取締役

新潟南高校、立命館大学を卒業後、UX(新潟テレビ21)に入社。CMや番組の営業、番組制作やイベント企画を担当。その後、新潟のインターネット広告会社を経て独立。現在は「仕事に、もっと遊びを。」をコンセプトに、株式会社モアソビ代表取締役として、メディアプランニング事業を展開。古町リブランディングプロジェクト「古町夜市」委員長、キャンピングカーメディア「CAM-CAR」編集長、観光業特化型求人メディア「レジャワーク新潟」の運営、ピラティススタジオ「ISLANDSTUDIO」オーナーなど、多岐にわたる事業を手掛ける。

テレビ局での営業・企画経験を経て、株式会社モアソビ代表として多彩な事業に取り組む永井大地さん。「仕事に、もっと遊びを。」をコンセプトに、メディアプランニングから地域活性化まで、従来の枠組みにとらわれない活動を展開しています。2022年からスタートした「古町夜市」では、音楽やアートが融合する新しい街の魅力を創出。「新潟をもっと楽しく」をテーマに、コミュニティやカルチャーが生まれる街の可能性を探っています。今回は明和義人祭への参加、これまでの活動や古町への思いについて伺いました。

チャレンジ精神を感じた明和義人の歴史

2024年の明和義人祭に初めて参加されたとのことで、
涌井藤四郎役を務められた感想や、当日のお祭りの印象をお聞かせください。

 

永井:
お祭りの存在自体は知っていましたが、細かい内容までは把握していませんでした。
当日は岩船屋佐次兵衛役の阿部さん、お雪さん役の結衣さんと共に、古町演芸場で明和義人の演劇を鑑賞するなど、明和義人の歴史や意義を理解することができました。本格的なメイクとかつらをつけた姿で街を歩くのも、不思議な体験でしたね。メイクの力ってすごいですね。Xのプロフィール画像とは全く違う顔になれました(笑)。
ちょうどその日は、私が関わっている「古町夜市」の開催日でもあり、朝の8時から夜の11時まで一日中古町で過ごしました。

永井さんの明和義人祭当日のお姿。普段の柔らかい雰囲気とはひと味違った凛々しさが素敵でした!

涌井藤四郎には、どのような印象を持ちましたか?

 

永井:
今でいう自治体に似た仕組みを作り、街をまとめていった点に現代に通じるチャレンジ精神を感じました。私自身、「古町夜市」などで街の活動に関わっていて、人々の思いをまとめることの難しさと大切さを日々感じているので、涌井藤四郎の「コミュニティを作って引っ張っていく」という姿勢は興味深かったですね。後々裁きを受けたという結果はありましたが、当時としては革新的な取り組みだったのではないでしょうか。

新潟の街に変化をもたらす仕事を

永井さんは現在、株式会社モアソビの代表として、新潟や古町で活躍されています。ご自身のこれまでの経歴やお仕事、古町との関わりについてもお聞かせください。

 

永井:
出身は新潟市東区で、高校時代の放課後は古町で過ごすこともありました。当時の古町は、若者の街としての顔もあって、エリアごとに異なる魅力があったように思います。
その後、関西の大学に進学し、当初は新潟県外で就職活動をする予定だったのですが、家庭の事情で県内での就職を検討することになりました。新潟に戻ってきた時に、高校時代に遊んでいた古町が寂しくなっているのを目の当たりしたんです。最初は「何とかならないかな」という他力本願的な気持ちでした。

 

テレビ局では、どのような仕事をされていましたか。

 

永井:
営業職でしたが、仕事をこなしていくにつれて、クライアントの予算と企画次第で番組を企画できる点に手応えや面白さを感じましたね。東京支社時代に手がけた『新潟アレコレ娘』という番組では、新しい視点で新潟を切り取ることにも挑戦しました。6年間の東京勤務で得た全国的なネットワークを通じて、地方都市の可能性について考えることができました。
特に印象的だったのは、人口規模と街の活力は必ずしも比例しないという発見です。新潟市より人口規模の小さな都市でも、独自の魅力で強い求心力を持っていました。西日本の都市に特にその傾向が強く、実際に他県の方から「新潟は面白くないよ」と率直に指摘されたこともあります。人口規模で見れば新潟の方が多いのに、新潟のポテンシャルはこんなもんじゃないぞ!と悔しい思いもしました。

現在の活動につながる転機はありましたか?

 

永井:
テレビ業界のDXに関心を持って、テレビとデジタルの融合という観点から何かできないかと、テレビ局を退職してベンチャー企業で働きました。スピード感のある環境で短期間ではありましたが、従来の枠組みにとらわれない思考を学べたと思います。いろいろな仕事に関わった分、じゃあ自分が本当にやりたいことは何なのか?と見つめ直す機会にもなりました。その頃から、自分自身が街に変化をもたらせるようなことができたらいいなと思い始めましたね。

コミュニティが生まれるイベントづくりへ

株式会社モアソビで法人化する以前は、個人事業主からスタートしたそうですね。

 

永井:
当初は個人事業主を選択して、広告企画からCM制作、オウンドメディアの編集や記事の執筆、ゲーム・アニメ関連のプロデュースなど、私の関心領域に応じて活動の幅を広げていきました。
基本的に何でも興味を持てるタイプで、つまらない仕事をどう面白くしようかと考えることが好きなんです(笑)。多様な仕事に関われているのは、そういった姿勢があってのことかもしれません。

 

さまざまな事業や活動の中でも、学生時代の思い出の場所・古町と永井さんを結び付けた「古町夜市」は特に注目を集めました。「古町夜市」の構想はどのようにして生まれたのでしょうか?

 

永井:
古町夜市の会場でもあった西堀ローサは、私が中学生の頃はアパレルショップが立ち並び、妖艶な雰囲気を持つ場所だったなぁと(笑)。昔に比べて活気はなくなりましたが、この独特の雰囲気は残っていました。この独特な空間に面白さを感じたこともあり、そこでイベントができないかとXで発信したら、高校の同級生から「面白そうだから、ぜひやってみよう」と。西堀ローサを管理する地下開発さんに提案し、202212月、ようやく第1回の開催にこぎつけました。

 

初めて「古町夜市」を開催してみての感想は。

 

永井:
その日は大雪の予報で、不要不急の外出を控えるように喚起されていた日でしたが、無事に開催できました。初回は6店舗ほどのカレー店が集まるイベントとしてスタートしましたが、その後は飲食店の出店形態も多様化し、空間づくりにも工夫を重ねていきました。
当初はクラブミュージック寄りの演出を考えていましたが、出展者からの声を受けて、シティポップ調の落ち着いた雰囲気に転換しています。飲食とエンターテインメントの共存という点で、大きな転機となりました。
最近ではプロのジャズミュージシャンによる生演奏や、流しのパフォーマンスなども開催され、お昼から19時までという時間設定も、試行錯誤の末に見出した最適解でした。特徴的だったのはリピーターの存在です。毎回参加される方々が新しい層を呼び込むような存在になって、コミュニティが自然と形成されていくように感じました。

あらゆるカルチャーが息づく街に

永井さんにとって、古町とはどんな街ですか?

 

永井:
古町は「かっこいい大人たちの生き様にふれられる場所」だと思っています。最近は商売の形も多様化していて、建築家やデザイナーなどクリエイティブな活動をされている方が古町を拠点にしているケースも増えています。特に飲食店のオーナーさんたちは、それぞれが自分のやりたいスタイルでお店を経営されている。そういうかっこいい人たちの生き様に目の当たりにしたり、話を聞いたりできる場所であり、そこに行くと自分も豊かな心を持てる。そんな唯一の場所として古町を捉えています。だからこそ私も「古町夜市」を通じて、音楽やアート、デザインなど表現者が集まるカルチャーの街としての可能性を追求していきたいと考えています。

 

街に関わる活動の中で、永井さんが大切にしていることは。

 

永井:
「自分でお金を出してまでやりたいことなのか」という点を重視しています。補助金ありきではない街づくりは目指したいですし、イベントだけでは儲かりませんがトントンでもいいと(笑)。それがもたらす他の効果をきちんと見据えているかどうか、そういう熱意やリスクを伴う覚悟を持ってやることが大切だと思います。

 

ありがとうございました!
最後に明和義人祭へのメッセージをお願いいたします。

 

永井:
私が学生時代、古町で過ごすことが多かったことから、学生の皆さんには、古町の良さをぜひ感じてほしいと思います。新潟の歴史深い古町を味わってもらえる機会として、明和義人祭は大切な役割を果たしているはずです。このお祭りでの経験が一過性のものではなく、古町への継続的な関心につながっていってほしいですし、若い世代と古町をつなぐ架け橋として、これからも続いていくことを願っています。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。