「明和義人伝~モダンタイムズ~」第17回 : 堂田浩之さん

プロフィール

堂田浩之さん
株式会社 新潟小規模蒸溜所 代表取締役社長

1975年生まれ、北海道出身。地元大学の法学部を卒業後、写真専門商社などの勤務を経て、製薬会社の転職。新潟へ赴任、結婚を経て、2015年に「株式会社 大谷」へ入社。前職の経験を生かして、埼玉県内での訪問看護ステーションの立ち上げなど、新規事業に携わる。2019年に「株式会社 新潟小規模蒸溜所」を設立し、ウイスキーの製造を開始。

89蔵もの酒蔵数、日本酒消費量も日本一を誇る新潟。新潟=日本酒のイメージは根強い一方、その土地土地で造られるビールやワインも定評があり、日本酒に限定しない酒文化が年々醸成されています。その中のニューホープとして注目を集めるのが、新潟産ウイスキー。ウイスキーの原材料となる水に麦芽も、地元素材であることを徹底し、小規模で手間暇かけた高品質ウイスキーづくりに取り組んでいるのが、「新潟亀田蒸溜所」の名称でウイスキー製造を行う「株式会社 新潟小規模蒸溜所」の堂田浩之さんです。県内でシングルモルトウイスキーの製造を行うのは1軒のみ。新潟から世界に通用するウイスキーを作りたいと、堂田さんは意気込みます。今回は、ウイスキー製造に取り組むきっかけからウイスキーにかける思いについてお聞きします。

工業団地の一角に構える、小さな蒸留所の大きな夢

“ウイスキーの蒸留所”というと、自然が身近な環境を勝手にイメージしていたのですが、「新潟亀田蒸溜所」は工業団地内にあるのが意外でした。

 

堂田:
「新潟亀田蒸溜所」は、「はんこの大谷」として知られる「株式会社大谷」の敷地一角にあります。蒸留所を立ち上げたのは2019年ですね。蒸留所の代表者である妻の尚子は、株式会社大谷の社長を務めていて、私ももともとは大谷の社員なんです。ですので「新潟亀田蒸溜所」は大谷の事業の一つという大きな括りになります。

 

そもそも、堂田さんとウイスキーの出会いは?

 

堂田:
私は北海道出身で大学も道内でした。お酒好きだったゼミの教授が、ゼミ生を「ニッカウヰスキー 余市蒸溜所」に連れて行ってくれたことがあったんです。そこには蒸留機も含めて大きな機械や樽が山積みになっていて、非常にロマンを感じました。余市の蒸留所近辺は本当に景色の良いところで、自然豊かな場所でこういったウイスキーが作られている、その職人の世界に憧れましたね。こんな場所で働きたいと思いました。ただ、私が大学を卒業する頃は、バブル崩壊の翌年。就職氷河期といわれている中で、同時に1990年代の後半というのは、ウイスキーのどん底時代といわれていて、ウイスキーが全く売れなかった時代でした。だからウイスキー関連のお仕事って何もなかったんです。それもあって、卒業後はウイスキーとは関係ない仕事に就いていました。

 

大谷に入社したきっかけはどういった経緯で。

 

堂田:
大学卒業後は写真専門商社や電設資材企業で働いていたのですが、30歳頃に病気で入院する機会があったんです。こういう世界があるのかと、医療業界に興味を持ったのはその時ですね。でも、今さら医師にも薬剤師にもなれないと考えた時に、製薬会社に営業の仕事(MR)があることを知って転職したんです。新潟に赴任した時に出会ったのが、妻の尚子でした。上司に連れて行ってもらった大衆割烹に、妻は義母と来ていたのですが「新潟の女性は日本酒をよく飲むんだなぁ」と感じました(笑)。その出会いを機に尚子と結婚。しばらくは大谷には入らず、変わらずMRの仕事をしていたのですが、妻が会社を継ぐタイミングで大谷に入社しました。

 

どういったお仕事をされていたのでしょうか。

 

堂田:
前職の経験を生かして、まずは2018年に埼玉県内の訪問看護ステーションを立ち上げました。埼玉県は医療過疎の地域で、人口あたりのドクターの数というのが全国最下位という背景もあって、ニーズがあった埼玉に開設しました。ウイスキーの蒸留所を立ち上げるという話もちょうどその頃ですかね。その頃の夫婦の晩酌といえば、竹鶴の17年もの。毎日飲んでも飽きないし、ウイスキーはやはり味、香りが他のお酒と違うと感じていました。「そんなに好きならつくってみたら?」という妻の一言から、ウイスキーづくりが始まったんです。

「ウイスキーが好き」という想いが新たな一歩に

ウイスキー蒸留所の立ち上げは、奥様である尚子さんの存在が大きかったのですね。

 

堂田:
そうです。もちろん妻の両親には反対されました(笑)。その頃、「新潟イノベーションプログラム」というイベントがあって株式会社ひらせいホームセンター社長の清水さんと知り合い、クラフトウイスキーをつくるということをイノベーションプログラムで発表したんです。そこで清水社長が応援してくださることになり、株式会社スノーピークの山井社長、お酒の卸売り販売をされている株式会社小川さん、株式会社ピーコックさんなど、新潟の企業の皆さんに出資していただいて、蒸留所の設立につながりました。皆さん、私のウイスキーにかける夢に興味を持ってくださって、本当に人に恵まれていることをありがたく感じました。その方々の支えもあり、義理の両親も説得することができました(笑)。

 

製造に関しては、どのように学ばれたのですか。

 

堂田:
「マルスウイスキー」「駒ヶ岳」「津貫」などを展開する、鹿児島県の本坊酒造さんに1ヶ月ほど修業に行かせてもらいました。実際の工場がまだできていなかったので、まずは製造の基礎から工場を作るための必要な知識や考え方など、いろんなことを勉強させてもらいましたね。他にも、「ウイスキー文化研究所」の代表をされている土屋さんから、キリン富士御殿場蒸留所で「富士山麓樽熟50°」や「富士山麓シングルモルト18年」などの開発を手がけた元チーフブレンダーの早川さんをご紹介いただき、ウイスキーの製造ノウハウを教えていただきました。まずは学んだ通り、基本に忠実に作ってみて、そこからどうやったら出来が良くなるかというのは、日々の仕込みの回数と失敗を重ねてですね。あと、大手のメーカーは文献を出しているのでその文献を参考に、ウイスキーの香味に関しての知識を養いました。

 

堂田さんが大好きだったウイスキーです。実際につくってみての感想は。

 

堂田:
味の多様性がある点が、まず面白いと感じました。毎日晩酌で飲むくらいのウイスキー好きとしては、ウイスキーには日本酒やビールにはない香りや味があると思っていて、これは蒸留酒ならではのものなのかもしれません。飲むと、自分の体にすっと染み入るようなフィット感があるんですよね。あとは、実際に作って感じたのは、ウイスキーというカテゴリーの中でさまざまタイプのものがつくれる振れ幅があることです。それゆえ、味、香りの面でいろんなチャレンジができそうだなと。私たちはクラフトウイスキーメーカーなので、10人いて78人に愛されるものは作る必要がないと思ってます。1000人、1万人に1人が「ここのものが一番おいしい」と言ってくれればそれでいいと思っていますので、そういう意味でも、この規模感で自分好みの味を作っていけると手応えを感じました。

水・麦芽も新潟産を貫いた“MADE IN NIIGATA”のウイスキー

「新潟亀田蒸溜所」でつくられるウイスキーの特徴や強みは、どんなところでしょうか。

 

堂田:
僕がウイスキーに求めるものは、フルーティーさ、後味の余韻の長さ、甘さ。この3つがキーポイントになってくると考えています。他にはない特徴という点でいうと、新潟県産の麦芽を積極的に使用していることです。現在は英国産がメインなっていますが、ゆくゆくは100%新潟産の麦芽を使用したいですね。他との差別化を考えると、ここ新潟でつくっているという我々の強みがないといけないと常々感じています。それに日本は農業国ですから、地産地消、地場のものを使った製品を作るということは、やっぱり第一義的に大事なことだろうと。大麦は初年度から今まで、秋葉区にある白銀カルチャーさんに作っていただいています。年々規模を拡大してもらっていて、かつ今は新潟県内の他の農家さんも麦を作ってくれるということで、生産量もアップしています。日本酒の地酒もそうですけど、 地元の味を楽しんでもらうためにあるわけなので、そうするとウイスキーにもやはりテロワールが影響すると考えています。

 

水も阿賀野川から引いている軟水を使っていらっしゃるそうですね。

 

堂田:
名酒・越乃寒梅さんと同じく、阿賀野川水系の良質な軟水を仕込み水として使用しています。蒸留所がある亀田工業団地にも阿賀野川の水が近くにありましたから、そういった意味では本当に好都合でしたね。良質な水と良質な農作物ができる、そういったバックグラウンドはウイスキーづくりに大いに応用できていると思います。

 

製造は軌道に乗ってきたということですね。

 

堂田:
おいしいウイスキーを作りたいという熱量で、周りに支えられてここまできたと実感しています。出資していただいている分、期待にも必ず答えなければなりません。2021年から製造に取り組んで、今年、ようやくファーストリリースとなるウイスキーを出すことになります。ウイスキーを作ってみて初めて分かったのは、作ったものをただただ売っていくだけではなくて、倉庫に貯めておくことも私たちの仕事になってくると。つまり、樽を残していくことも蒸留所としての仕事なんです。それが20年、30年経った時に真の評価を得ることになります。そういう意味で、ウイスキーをつくることは、木を植えていくことと似ていると感じました。林業も何世代も前に作った木を植えた人がいて、それを後の世代の人たちが切ってお金にしながらまた木を植えて……と繰り返していく。ウイスキーの製造も次の世代に繋いでいくものなのだと感じています。

小規模蒸留所発、世界に誇る新潟の酒文化

昨年は、「ニューポットPeated」がワールドウイスキーアワード(WWA2023の「New Make &Young Spirits部門ワールドベスト(世界最高賞)」を受賞されました。

 

堂田:
まだ設立して3年しか経っていない小さな蒸留所が、このような賞をいただけたことに驚きましたし、素直にうれしいですね。自分たちが地道に取り組んできたことが間違っていなかったと、また次のフェーズに向けた大きな一歩になりました。ニューポットは、樽詰め前のウイスキー原酒を使った蒸溜したばかりのお酒で、本当の意味での評価はこの先です。今年もワールドウィスキーアワード(WWA2024に出品し、予選が終わって出品した7品目全てが入賞したところですし、今年9月にはファーストリリースの700mlのフルボトルの販売が控えています。今出せる最高のものを出そうと意気込んでいます。

 

「新潟亀田蒸溜所」として目指していることは。

 

堂田:
ウイスキーという世界共通言語として通じるお酒が、新潟にあることを世界の人に知ってもらうことでしょうか。ウイスキーがあることで、世界の人の目が少しでも新潟に向いて、新潟がいつか訪れてみたいと思う場所になったら、地域の活性化にもつながるでしょう。本当の理想でいえば、世界の酒好き・ウイスキー好きが、ウイスキーを通じて新潟を知ることで、そこに日本酒やワイン、ビールと、あらゆるお酒の文化があることに触れてもらう、そしてそこで得たお酒の味や知識を持ち帰ってもらう…そんなサイクルが生まれたらと考えています。89もの酒蔵の数を誇り、ビールも地ビール第一号の越後ビールさんにスワンレイクビールさん、ワインもカーブドッチさんをはじめ、歴史ある岩の原ワインさん、胎内ワインさんと多種多様です。ウイスキーを通じて、新潟=お酒の文化を肌で感じてもらう機会も演出していきたいものです。

 

ウイスキー製造に関連した新事業も予定されているそうですね。

 

堂田:
実はウイスキーの蒸留の工程で使われた温熱排水を生かした事業として、国産うなぎの養殖をスタートしました。温熱排水は中温帯といわれる70℃ほどのお湯なんですが、うなぎは30℃ほどのぬるめのお湯で管理するそうで、ボイラー代がまるまる浮くわけですから、これは使えるぞと。うなぎに関しては製品として開発し、捌く機械の導入や蒲焼きのタレも開発も行います。今年の土用の丑の日には皆さんに提供できる予定です。また、大谷の社会福祉法人の分野で手がけているチーズ工房も建設中です。

 

ありがとうございました。最後に明和義人祭へのメッセージをお願いいたします。

 

堂田:
私自身、県外出身であることもあって、明和義人の歴史については存じ上げなかったのですが、やはり地域を盛り上げるための活動は大切だと感じています。その趣旨に賛同したいと思いますし、その活動、お祭り自体がもっともっと大きくなるために、 私たちができることがあれば協力したいと思っております。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。