「明和義人伝~モダンタイムズ~」第14回 : 亀貝康明さん

プロフィール

亀貝康明さん

株式会社サンゾウ 代表取締役

1983年新潟市生まれ。日本大学商学部卒業後、株式会社カービューで営業職を経験。大学生時代に憧れていた先輩を追って上海へ渡り、媒体関連の企業などで3年間、中国でビジネスを経験する。日本に帰国後はクルーズ株式会社でアプリゲーム市場のマーケティングに従事。その次に勤めたCAPSULE JAPAN Inc.では台湾に渡り、営業、マーケティングの経験を生かして従業員のマネジメントと経営計画に関わり、取締役も務めた。37歳で新潟へUターン、令和333日に株式会社サンゾウを設立。

東京や中国・上海、台湾・台北でさまざまな事業に携わり、
37歳で新潟にUターンした「株式会社サンゾウ」の亀貝康明さん。
営業、マーケティング、経営、マネジメントと幅広く手がけた経験を
多様な切り口で、新潟のみならず、日本、世界へと還元しています。
地元新潟で起業するまでのお話から新潟へ抱いている思い、
「株式会社サンゾウ」の今後の事業展開についてもお聞きしました。

小さな成功体験の積み重ねが、大きな挑戦への糧に

亀貝さんのこれまでの経歴を教えてください。

 

亀貝:
僕の経歴は、話すとかなり長いかもしれません(笑)。2浪して入った大学生活は、浪人して仕送りもお願いできなかったので、ひたすら飲食店でバイトの日々です。ここで料理が好きになって調理師の免許まで取り、過酷な仕事場を4年間経験したことが、一つの成功体験になりました。実はそれまでは中学受験、大学受験に失敗したのもあり、自分で自分に「ダメ」というレッテルを貼っていて、全てにおいて劣等感ばかり持っていたんです。もう、周りにいる人たちは全員敵、反骨精神で生きてきたようなものでした。ですが、その厳しいアルバイトを続けることができたこと、周りの人から頼られる立場になったこと、楽しくて辛い中で頑張ってこれたことが自信につながりました。そこからはもうチャレンジさえすれば結果リスクはないし、自分の幅は広げていけると気付くきっかけになったんです。

 

挑戦することの楽しさを、身をもって体験したと。

 

亀貝:
そうですね。自分が死ぬまでにどこまでの景色が見られるか、そんなふうに考えるようになりました。料理のバイトを続けながら、就職についても考えていましたが、就活中に出会ったある営業マンの方が生き生きと働く姿に影響を受け、大学卒業後は営業職を目指そうと。インターネットでの車関連企業で営業マンとして働き、自分が動くことで受注に繋がる楽しさ、結果が出るという営業の醍醐味を味わい尽くしました。3年で退職した後は大学時代の憧れの先輩を追いかけるように上海に渡り、フリーペーパーの編集・発行を行う会社など複数の事業を経験しました。言葉も分からない、土地勘もない上海でしたが、東京や新潟にはない街の勢いを感じたエキサイティングな体験でしたね。東京に戻ってからはアプリゲームのマーケティングに携わりましたが、現在の業務の一つであるマーケティングはこの時の経験がとても活きています。

 

これまでの仕事は、どれも未経験の状態からのスタートですよね。

 

亀貝:
未経験であっても、自分の考えや動き方次第で、知識や経験は自然と身に付いてくることを体感しました。アプリゲームの会社を退職してからは、32歳の時に縁あってYouTuberを軸としたインフルエンサーマーケティング施策などを行うCAPSULE JAPAN Inc.で働きました。台北に移住し、企業の取締役として現地従業員のマネジメントにも関わり、企業の経営、事業と人の育成も経験したんですね。その時々にチャンスがあり、この先にはどんな景色が広がっているのか、そんなことを思い描きながら、キャリアを積んできました。

 

東京、上海、台湾。これまでの活動拠点は実に幅広いですね。海外での経験で得られたことは。

 

亀貝:
「多様な価値観があっていい」と実感したことでしょうか。日本で暮らしていると、僕のように人見知りでなくても周りの目を気にしてしまう場面が多いと思うのですが、上海も台湾もそういうものが一切なく、いい意味で自由。多様性がありながら、ビジネスでは皆で同じゴールに向かう、そんな面白さがありましたね。

これまで得てきた自信が後押しした、新潟へのUターン

新潟には37歳の時にUターンされました。その経緯は。

 

亀貝:
最後に勤めたのはCAPSULE JAPAN Inc.でしたが、最終的に退職したのは、次のことに挑戦したかったからです。どうしても新潟へUターンとなると「親の介護ですか?」と言われることが多かったり、地元には仕事がないというイメージも昔の自分なら持っていたかもしれません。僕の場合は、東京や上海、台湾で成功体験を積んで、給料もたくさんいただいていましたし、そこで働き続けて人生を終わりに向かわせるという選択肢もありました。けれども、あえて難しいことに挑戦したいという気持ちの方が勝ってくるんです。その自信は「今の自分なら、新潟で自分の居場所をつくれるかもしれない」という確信につながって、ラスボス的に残っていた地元新潟での法人立ち上げの決定打になりました。今までは110100と作っていく仕事でしたが、企業は創業して事業をまず0から1として作り出していくもの。だからこそ、0から取り組むことに挑戦しようと思いました。

 

事業はどのように広げていったのでしょうか。

 

亀貝:
これを話すと驚かれるのですが、何を事業とするかは決めず起業したんです(笑)。新潟で起業するにあたって、まずはTwitterで県内の社長の方々10人ほどにこれまでの経歴を交えて「こういうことができます。一度会ってお話を聞いてもらえませんか」とダイレクトメッセージを送ったんです。そこでまず反応してくださったのが、NAMARA代表の江口さんでした。まずここで、何者かも分からない僕を面白がってくれるというのが、本当にありがたいことですよね(笑)。NAMARAさんではまず、YouTubeでの動画配信や業務管理をDX化するという提案を行っています。この他にも「ひだか農園」の斎藤日高社長は僕の同級生でもあって、ホームページやロゴ制作に携わらせてもらいましたし、Twitterで連絡した社長の方々は今もご縁が続いている方もいらっしゃいます。

 

現在の「サンゾウ」のメインとなる事業は。

 

亀貝:
メインの仕事としては、ローカル事業と中華圏事業の二つがあります。ローカル事業では新潟県内の企業を中心ですが、補助金関連で資金を調達することからイベントのディレクション、Youtubeチャンネルのディレクションも行いますし、業務財務からマーケティングから広告代理業、ホームページ制作、いわゆる経営に関わることもあります。どれもこれまでの経験や知識が活かされていますが、何でもやる、できるというのは他の人から見ると「ブレている」と思う人も少なくないかもしれません。ですが、経営理念である「アナタをハッピーに。そしてみんなでセカイに変化を。」の通りに、目の前の企業が困っていることで、弊社がお役に立てることであれば何でもやっていきます。一つのことを突き詰めるよりも、さまざまな業種で得た経験が重なって、経験という輪が重なって行くことの方が、僕としては重要だと考えてきました。いかようにでも動けるレアなキャラクターというものは、そういう積み重ねで生まれると思っています。だからもし、僕を活用してくれる企業があってニーズが合致すれば何でもするスタンスでいたいですね。

ローカルを拠点にグローバルに働く意義

中華圏における事業展開についても教えてください。

 

亀貝:
大きな構想としては、新潟発信のクリエイターエコノミーを中国で普及することですね。日本を拠点とするクリエイターの技術やアイデアを、中国の商圏で生かすことでクリエイター支援ができないかと考えています。例えば、新潟にとあるイラストレーターの方がいるのですが、その方は「もっとイラストで食べていきたい」という想いを持ちながら、イラストレーターとして活動されています。そういう方々の市場を大きくすることで、その人の幸せにつながるのではないかと。中国はかつては「盗む」「買う」時代でしたが、今は「つくる」時代になっています。そこでクオリティの高い日本のクリエイターが活躍できる場、市場というものを生み出せないかと考えています。

 

中国で法人を立ち上げるそうですね。

 

亀貝:
その予定です。中国はあくまで中華圏に向けた事業の拠点であり、目標としては2拠点、3拠点で市場と事業を広げていきたいですね。身近な例でいうと、新潟を代表する亀田製菓さんは、市場を日本、世界へと広げて外からお金を生み出し、新潟という内に還元していくというイメージがあります。市場を広げることで膨大な情報を得ることもできますし、新しい発想やテクノロジーも生まれると思います。僕も規模こそ追いつけはしませんが、グローバルで生み出したお金と経験は新潟というローカルに還元したい。新潟という内々だけで物事を解決するのではなく、外からの風や血となるものをうまく取り入ることにも意義があると感じています。そして、僕のように紆余曲折ありながらも挑戦したいという若い人たちに向けて、居場所を与えたいという思いもあります。僕、基本的に新潟も新潟の人も好きなんですよね。

人が好きだからこそ、人や企業の幸せや豊かさを考える

人にスポットを当てた事業では「アップデート新潟」を運営されています。

 

亀貝:
これまでもお話したように、僕はさまざまな場面での出会いがあり、人に助けられてきました。助けてくれた方々はもちろん、普段の生活の中で何気なく関わる人たちは、今までどんな人生を歩んできたのか、その人の物語にふれてみたいと「アップデート新潟」を立ち上げました。人にスポットを当てた理由はもう一つあって、情報過多の現代には情報に価値がないと常々感じていたからです。僕がおいしいと思うお店、気になるお店を紹介したところで他でもやっているようなことには価値がありません。ですが、人とその人にまつわるストーリーというものには僕自身興味があり、発信する価値があると。その人の表情や声に込められた気持ちも見聞きしながら、小説を読むような擬似体験ができたらと考えながら、人選や撮影も行なっています。僕の根底にはクリエイターへのリスペクトがあるので、自分とは異なるジャンルやコミュ二ティーに携わる方々に心を動かされるというのもあります。ですがこれ、一発撮りなので緊張するし、なかなかパワーも必要なんですよね…(笑)。

 

起業してから今も大切にしているポリシーはありますか。

 

亀貝:
経営理念でもある「アナタをハッピーに。そしてみんなでセカイに変化を。」という思いは、会社設立時から変わっていません。一般的によくあるような大きなビジョン先行型で「社会的インパクトを与えよう」「新潟をこうしたい」という強烈な思想を持って、それに合わせて事業を起こすようなことは僕には向いていないと思っています。「アップデート新潟」を立ち上げたように、僕はもともと人が好きで人に興味があります。ビジネス目線で数字や結果を追い求めるのではなく、関わる人たちが幸せと感じるか、そのためにはどう手助けをするか、その繰り返しで少しでも社会に影響を与えていきたいです。幸せに対して何ができるか、そのためにはまず好きなこと、楽しいことは何かを考え、実際にやってみるのが大切だと考えています。

 

明和義人祭についての印象やメッセージをお願いいたします。

 

亀貝:
正直、新潟に戻ってくるまでお祭りがあることは知らなかったですね。明和義人の逸話も拝見しましたが、コミュニケーションで課題を解決していくのは本来のあるべき姿で、今こそ求められていることだと感じました。この物語自体をより外に向けて発信することで、広がりをつくっていける可能性もあると思います。東京にいた頃は、周りの人たちがお祭りのために地元に帰るということがよくありました。明和義人祭もそんなポジションになるといいなぁと。僕自身、古町周辺で生まれ育った身でもありますし、両親や周りの人たちも皆、古町の未来を案じているんですよね。祭りや思想をさらに親しんでもらうために、古町以外の外の人を巻き込んでいく仕組みづくりも必要かもしれません。100人の影響力を1000人、1万人と広げていくことで、より新しいコミュニティーが生まれるのではないでしょうか。

明和義人祭実行委員より文庫本「新潟樽きぬた」を寄贈させて頂きました。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。