沼垂ビールは創業8年目になります。それ以前は金融関係の仕事をされていたそうですね。
高野:
大学卒業後は新潟を離れて、銀行員として大阪や東京で働いていました。大阪はもちろん、東京の蒲田なんかは古くから商売をしているところも多く、中小企業の経営者の方々とお会いする機会がたくさんありました。経営理念や社風、経営者の人徳など、しっかりと信念を持っている企業が幾つもあったんですね。こういう素晴らしい企業が幾つもあることに感銘を受けました。その時の人との出会いというのは、今の経営に大いに生かされていると思っています。当時はバブルで景気も良い時でしたが、「人生これからが長いから、何か好きなことをやってみよう」と思って38歳で銀行は退職しました。
「何か好きなこと」とはもう心の中で決まっていたのでしょうか?
高野:
これがね、全く決まっていなかったんです(笑)。銀行を辞めた翌年の年収は40万でしたよ。中小企業診断士は銀行を退職する2年前に取得していたのもあり、豊島区の商工相談所で日当をもらって豊島区内の中小企業の融資相談とか、出版社から金融関連の記事の執筆の依頼などで食いついないでいました。その中で、商店街のアーケードやショッピングセンターのコンサルティングを行う診断士の先生について、阿佐ヶ谷や中野、高円寺などの商店街のアーケードの立ち上げの事業に関わる機会が増えてきました。商店街各店の決算書をもらって、アーケード全体のコンセプトから商店街の将来ビジョン・事業計画づくりを任されるようになって。阿佐ヶ谷パールセンター、中野サンロード商店街、上野中通商店街の仕事など、商店街を通じた街づくりに携わっていました。
街づくりに関わる中で得られたことはありましたか。
高野:
いろんな街を巡ってみて思ったことですが、上野にしても阿佐ヶ谷にしても、街の自治の土台がしっかりとしているんですよね。商店街として成り立っているところ、にぎわっているところは、江戸時代の街会とかコミュニティの連絡会が色濃く残っています。そこが街全体の防犯や活性化につながるイベントといったプランづくりの中心となっている姿がありました。街の自治やあり方という点で、学びが本当に多くありました。