「明和義人伝~モダンタイムズ~」第13回 : 高野善松さん

プロフィール

高野善松さん(たかのぜんまつさん)

沼垂ビール株式会社 代表取締役

1954年生まれ。新潟市中央区沼垂出身。新潟大学経済学部卒業後、旧大和銀行に入行。融資・渉外等業務全般を担い、事務企画や営業店管理者等も歴任。1995年に38歳で退職後は、有限会社オレンジ・ラボを設立し、中小企業の新規事業開発や資金調達、経営計画策定などのコンサルティング業務、スタートアップ支援、ベンチャー投資ファンド運営、金融機関コンサルティングと幅広く携わる。2016年、地元である沼垂に戻り、沼垂ビール(株)を設立し、生家をビアパブとして改修、マイクロブルワリー事業開始。

日本酒や味噌といった食品文化が栄え、近年はレトロな商店街や酒蔵が並び街全体がにぎわいをみせる新潟市・沼垂地区。
その一角の素朴でどこかレトロなビアパブを営むのが高野善松さんです。
この場所で生まれ育った高野さんは、銀行員、中小企業診断士として活躍の後、町を活性化させるビジネスモデルとしてクラフトビールとマイクロブルワリーに着目し、沼垂の魅力発信の一つとして、地ビールの製造を行なっています。
異業種からのビールへの事業展開、これまでの道のりと展望をお聞きしました。

企業や経営者の姿勢に感銘を受けた銀行員時代

沼垂ビールは創業8年目になります。それ以前は金融関係の仕事をされていたそうですね。

 

高野:
大学卒業後は新潟を離れて、銀行員として大阪や東京で働いていました。大阪はもちろん、東京の蒲田なんかは古くから商売をしているところも多く、中小企業の経営者の方々とお会いする機会がたくさんありました。経営理念や社風、経営者の人徳など、しっかりと信念を持っている企業が幾つもあったんですね。こういう素晴らしい企業が幾つもあることに感銘を受けました。その時の人との出会いというのは、今の経営に大いに生かされていると思っています。当時はバブルで景気も良い時でしたが、「人生これからが長いから、何か好きなことをやってみよう」と思って38歳で銀行は退職しました。

 

「何か好きなこと」とはもう心の中で決まっていたのでしょうか?

 

高野:
これがね、全く決まっていなかったんです(笑)。銀行を辞めた翌年の年収は40万でしたよ。中小企業診断士は銀行を退職する2年前に取得していたのもあり、豊島区の商工相談所で日当をもらって豊島区内の中小企業の融資相談とか、出版社から金融関連の記事の執筆の依頼などで食いついないでいました。その中で、商店街のアーケードやショッピングセンターのコンサルティングを行う診断士の先生について、阿佐ヶ谷や中野、高円寺などの商店街のアーケードの立ち上げの事業に関わる機会が増えてきました。商店街各店の決算書をもらって、アーケード全体のコンセプトから商店街の将来ビジョン・事業計画づくりを任されるようになって。阿佐ヶ谷パールセンター、中野サンロード商店街、上野中通商店街の仕事など、商店街を通じた街づくりに携わっていました。

 

街づくりに関わる中で得られたことはありましたか。

 

高野:
いろんな街を巡ってみて思ったことですが、上野にしても阿佐ヶ谷にしても、街の自治の土台がしっかりとしているんですよね。商店街として成り立っているところ、にぎわっているところは、江戸時代の街会とかコミュニティの連絡会が色濃く残っています。そこが街全体の防犯や活性化につながるイベントといったプランづくりの中心となっている姿がありました。街の自治やあり方という点で、学びが本当に多くありました。

金融からビールへ。“発酵”をキーワードに新たな地域活性を

東京では街づくりに長く関わっていらっしゃいましたが、新潟へ戻ってきたきっかけは。

 

高野:
実は商店街にも関わりながら、銀行のコンサル、ベンチャーファンド、コンサルティング会社も立ち上げて、幾つもの仕事を掛け持ちしていたんです。日頃のハードワークが祟って、52歳の時に脳梗塞で倒れてしまいまして。それで年齢的にも東京での仕事はもうきついかもしれない、それならと辞めて新潟に帰ることにしました。新潟に帰ったところでこの年じゃ食べていけないのは分かっていました。だからこそ、この年だからもう一度好きなことやってみようと。ちょうどその頃、クラフトビール、マイクロブルワリーが注目され始めていました。新潟に帰省した際、「発酵食品の町」というワードを見て、「発酵の町、沼垂ビール」とふとひらめいたんです。沼垂は昔から味噌や日本酒が作られた発酵の町であり、市場というコミュニティーが発展していました。これをビジネスコンセプトとしてスタートしました。

 

ビールはもともと興味があったのですか?

 

高野:
いいえ、全く(笑)。先を見据えた一つの事業として着目しました。でも、ビールを作るのは簡単じゃありません。技術もいる知識も必要で、まさに職人の世界。ですが、よく考えるとコンサルティングの仕事も半分くらいは職人の世界です。銀行員時代もその後のコンサルタント時代も、新しい仕組みづくりに数多く携わりましたから、新しいことを始めるのは全く戸惑いも躊躇もなかったんです。ビールの醸造については、都内のベンチャー系のブルワリーにお金を払い、教えてもらいました。必要な機械から素材、仕入れや設備も、お金がなかったので全部自分で手配をしながらやってね。配管工事は実の兄にも手伝ってもらいました。兄は天然ガス自動車搭載用容器、水素ステーション用スチールライナー複合容器といった開発に携わった技術屋でして。兄の応援がなかったら成功していなかったと思いますよ。

 

沼垂ビールは醸造場とお店を併設していますね。このスタイルは何か理由があったのでしょうか。

 

高野:
これまで街づくりに関わっていたことと、この事業を始めるにあたって、これからはB to Bでも、B to Cでもなく、B(メーカー)to C(コミュニティー)to C(エンドユーザー)が肝になってくるということを感じていました。B to C to Cは私が考えた造語ですが、お金が地域の中で回る仕組みには「場」、つまりはコミュニティーが必要だと。それでマイクロブルワリーが設立するためにはビアバーがいる、でも、ビールを作るだけだと飲む場所がないとつまらない。場所がないとビールそのものの魅力が伝わらないし、人が集まらないですから。ヨーロッパを見ると、醸造場に併設するバーを、醸造場付きのパブをブリューパブというんです。このスタイルに魅力を感じて、沼垂ビールもブリューパブというスタイルに行き着きました。

人や風土、物語を生かすビールのブランディング

ビールに関しては、さまざまな食材とのコラボレーションにも積極的です。

 

高野:
新潟市南区のル レクチエや佐渡の番茶の、五泉市アロニアと、いろんな素材とビールのコラボを実現してきました。でもね、私から探したわけじゃないんです。ここにマイクロブルワリーがあることで人が訪ねてくるようになって、いろんな話が舞い込むようになってきました。そういう意味でも、場があるというのは大事なんです。ル レクチエは南区役所の産業振興の責任者の方からご相談があって、高級なものだからこそ生産される8割ほどが廃棄になるという現実を知りました。加工用のル レクチエでビールを作れないかということだったのですが、酒税法が改正になって、果物など副原料を使える割合は全体の5%という難しさもあり、ル レクチエの香りをしっかりと感じるビールをつくるのにとても苦労しました。新潟市のアグリパークにある食品加工センターに通い詰めて、風味がしっかり残るにはどんな加工が必要か試行錯誤してね……なかなか大変でしたよ(笑)。乾燥や冷凍保存といった香りが残る独自の加工法にたどり着きました。

 

そういったアイデアの源となるものは。

 

高野:
いろんな味、いろんな人からの話で得られるものもあれば、私の頭の中でアイデアを巡らせることもあります。例えば、「新潟オールドディズ」のラベルの美人画は、地元の蒲原神社の神官の子息として生まれ、若くして戦死した日本画家、金子孝信による「せいこ像」を使わせていただいています。これについても、蒲原神社の宮司さんから「沼垂ビールのラベルにどうか?」というお話をいただき、この絵のイメージからビールの味、ネーミングを考えたものなんです。けれども、「めずらしい食材があるけど、ビールに使ってくれない?」と言われても正直気が乗らないこともあります。そのもの自体にアイデンティティーがしっかりあるものでないと、良いコラボレーションが実現できないと思うんですよね。食材だったら食材そのものというよりも、それが作られる背景や関わる人たち、風土、思い。そういったものは一つのブランドストーリーの大事な一片だと私は考えています。少し前までは20種類近くのビールを扱っていましたが、今は15種類ほど。味、香り、苦味とそれぞれに個性を持たせて、素材にもラベルにもこだわっています。ぜひ飲み比べてみてほしいですね。

街の自治、コミュニティーはビジネスの重要な要素に

起業する上で重視したこと、今もポリシーにしていることはありますか。

 

高野:
長年、商店街や街づくりに携わった立場からいえば、コミュニティーが付随したビジネスでないと商売として長続きしないとは思っていました。ですから、街の自治、コミュニティーの歴史こそ、一番重視すべきところだと思うんです。私自身は新しいことを始めるのに恐怖心も何もなかったから、設備にしても自分で作ったり、ホームページのテキストも自分で書いたりね。でも、コミュニティーというものは、場があって、人がいないと広めていけないものですから。そこは着目して大切にすべきところですよね。父をよく知っている地域の年配の方々には「沼垂の名産をよく作ってくれた」と言っていただいたこともありました。でもそれは、父が生まれた沼垂という場所で、地域づくり、コミュニティーづくりに関わってきたからこそ、そう言っていただけるのだと思っています。父には本当に感謝しています。

 

今後の取り組みについてもお聞かせください。

 

高野:
沼垂ビールの事業の安定化と、沼垂エリア全体への来街者を増やして、今まで以上に回遊性を高める取り組みですね。今代司酒造さん、峰村醸造さん、沼垂テラス商店街の皆さんと横の連携を強化しながら、沼垂の魅力のブランド化を図っていかなければならないと考えています。ビジネスは連携が必須ですよね。沼垂以外のことですと、新潟オクトーバーフェストの実行委員長もやっていますので、いち新潟のブルワリーとして新潟のにぎわい創出にお役立ちしたいと考えています。

 

明和義人祭についての印象やメッセージをお願いいたします。

 

高野:
純粋に素晴らしいイベントだと思いますよ。沼垂は古町と何かと比較されることも多いと思いますが、古町も沼垂も、自治が進んでいる街だと感じています。古町には街の人々が街を守ってきたという歴史がきちんと残されていて、それを今まさに伝えていこうと取り組んでいるのは本当に意義があること。私は今クラフトビールという形で、コミュニティーを広げていきますが、明和義人もお祭りはもちろんですが、さまざまな形でさらに歴史を広く知ってもらえるように取り組んで、その気概を改めていろんな方々に知ってもらいたいですね。

明和義人祭実行委員より文庫本「新潟樽きぬた」を寄贈させて頂きました。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。