「明和義人伝~モダンタイムズ~」第11回 : 頓所理加さん

プロフィール

頓所理加さん

新潟県女子野球連盟 会長/全日本軟式野球連盟 理事/新潟県野球連盟 常任理事/新潟市野球連盟 常任理事

1975年生まれ、埼玉県出身。小学校から高校までソフトボール部に所属し、キャッチャーとして活躍。21歳で結婚を機に新潟へ。28歳の時に学童野球のコーチに就任。2008年に新潟の女子野球を広めるための組織、BBガールズ普及委員会を発足。2013年に県内初となる開志学園高校女子硬式野球部の創部に携わり、同校のコーチも務めた。40歳の時には、新潟市早起き野球大会においてプレイヤーとして出場。コーチや役員の傍らライター業もこなす。

高校野球がきっかけで、野球が大好きになったという頓所理加さん。コーチ、プレイヤー、女子野球普及団体の立ち上げと、15年以上にわたって新潟の女子野球界を牽引してきました。
ゼロに等しかった県内の女子野球を1から2、2から3へと変えていき、現在は女子野球のみならず県の野球界全体の繁栄をも担っています。大好きな野球に携わるまでの日々から、女子野球の普及に奔走してきた時代を振り返りながら、女子野球のこれからの可能性と頓所さんの思いをお聞きします。

全ての始まりは、「野球が好き」という思いから

頓所さんの野球人生は、結婚、出産を経てからのスタートだったそうですね。

 

頓所:
私は野球に本格的に関わったのは28歳の時です。それまでは埼玉から新潟に嫁いだ農家の嫁として、日々家庭と育児に奔走していました。小さい頃から抱いていた「野球がしたい」という夢を、夫や義父母、子ども達と家族全員に正直に話したことから、野球人生がスタートしました。

 

そもそも野球に興味を持ったきっかけは?

 

頓所:
小学生の頃にテレビで見た高校野球中継を見たことですね。その時に、キャッチャーフライに飛び込む捕手の姿を見て「私もこれがやりたい!」と。ところが母や周りからは「女の子はソフトボールでしょ!」との一言で一蹴されまして(笑)。学生時代はソフトボールを続けていましたが、私の夢はあくまで「大好きな野球をすること」。「野球がやりたい」と家族に話すまで、「野球」という言葉ですら胸の内に閉まっていたんです。

 

転機となったのが、学童野球のコーチなのですね。

 

頓所:
「野球がやりたい」と宣言してから、まずは「笹山ライオンズ」という地元の学童野球のコーチを任されることになりました。地元の男の子しかいないチームでしたが、私がいることで「やってみたい」とやって来る女の子が、少しずつ増えてきたんですね。当時は女の子で野球をしている子はほとんどいなかった時代です。「野球がやりたいのにできない」という状況は、まさに私の幼少期と重なる部分がありました。そのことから「野球をやりたい子ども達が、性別を問わずプレイできる場をつくること」という大きな目標ができ、女子野球の普及活動を広げるきっかけにもなったのです。

 

具体的にどのような取り組みを。

 

頓所:
これまで野球でご縁ができた仲間たちと共に、2008年には「BBガールズ普及委員会」を立ち上げ、女子だけの交流戦やイベントなどを企画しました。また、県内初となる高校女子硬式野球部の創部、新潟県女子野球連盟の設立にも携わりました。私が女子野球普及に取り組み始めた頃は、女子野球という言葉すら浸透していなかったのですが、この15年の間に、小学生選抜、中学以上一般、高校と女子の野球チームがたくさん誕生しています。これまでの普及活動は少しずつですが、実を結んでいると感じます。15年前初めて「BBガールズフレンドシップマッチ」として女子だけで行う試合を企画し、彼女たちのプレーを見た時は本当に感激しました。

野球経験ゼロから野球界へ。コーチ、プレイヤーとして歩んだ道

野球の世界に足を踏み入れてみて、実感したことはありますか。

 

頓所:
新潟には野球愛が強い方がたくさんいらっしゃることです。「愛する野球のためなら」と、頑張る人の背中を押してくれるような懐の温かさと絆の強さに何度も助けられました。これは新潟ならではの県民性かもしれませんね。また、役員を任せられるようになり、周りはやはり男性しかいないのだと改めて感じました。全日本軟式野球連盟に関しては74年の歴史の中で、私が初の女性理事。今の野球界は、男子野球の人口は減っていて、女子はゼロからスタートしたこともあってうなぎ上りで増えているんです。野球以外のスポーツが多種多様化している中で、子ども達に野球を選んでもらうため、野球界に入りやすくなるための仕組みを作っていくために、女性である私から見て感じた点を役員の方々に少しずつお伝えしています。例えば、球児のお母さんたちが関わりやすくなるにはどうしたらいいか、野球の道具も決まりがありすぎたりしないかなど、ハードルを少し下げることで野球人口そのものの増加や、役員もやりやすくなる環境に変えていけそうと感じる部分ですね。

 

学生時代はソフトボールをされてきましたが、コーチや監督といった指導面では、野球の経験はなかった中で、どのように指導方法を学ばれたのでしょうか。

 

頓所:
学童野球は軟式でノックなども行なっていましたが、高校女子硬式野球部のコーチのお話をいただいた時は、軟式との違いに戸惑いました。でも、やると決めたのだから、まずは野球の指導に関する本を買い込んで知識を叩き込み、実践面ではノックをやり方、受け方も学びました。当時、バイタルネット野球部の元監督である三富一彦さんに相談をしたら「悩んでいるなら、来ればいくらでも教えるよ」と言ってくださって。野球部の練習にお邪魔させてもらい、監督や選手からアドバイスもらって実践に役立てました。

 

40歳の時には念願のプレイヤーになりましたね。

 

頓所:
実は女子野球に普及活動に夢中になっていたら、一番大事な「私自身が野球をやりたい」ということをすっかり忘れていまして(笑)。ふと40歳になった時に思い出して、「ヒロインズ」という女性のプレイヤーだけのチームをつくり、新潟市の早起き野球大会に出場しました。シーズン中は月2回、冬は1回練習とゆるいペースですが、新潟県内さまざまなところから来てくれています。やはり自分が野球をやっている時は楽しくて仕方がないですね!

内に秘めていた願いを後押ししてくれた家族の存在

これまでの活動には、家族の存在も大きかったそうですね。

 

頓所:
家族の支えなしではやってこれなかったですね。野球に関わる以前の私は「いいお母さん、お嫁さんでなければいけない」という気持ちがとても強かったんです。子育ては楽しかったし、我が子はもちろんかわいかった。でも、ある里帰りの時に、実母から「理加は間違いなく良いお母さんだけど、でも本心じゃないでしょ?」とズバッ言われたんです。このままでは将来子ども達に「お母さんはやりたいこと全部我慢して、あなたたちを育てたんだよ」と一番言ってはいけないことを言ってしまうかもしれないとも思いました。

 

「野球がやりたい」と話してからの家族の皆さんの反応は。

 

頓所:
娘も息子も私が野球を楽しむ姿を見て野球を始めましたし、夫と義父母は常に協力的で本当にありがたく思っています。野球を始める前よりもいい関係が続いているんじゃないかな。「自分が自分らしく生きる」って本当に大切なことだと実感しています。お母さんだからって、好きなことややりたいことを我慢したり、諦めたりしなくてもいいんですよね。講演会などでも男性の方々に向けて「ママがニコニコできるためにも、ママたちがやりたいことをできたらいいですよね」とよくお話ししています。私の経験をお伝えすることで、「あ、これならできそうかも」と前向きに考えられるお母さん達が少しでも増えることを願っています。

野球を通じて叶えることができた、もう一つの夢

フリーライターとしても活躍されています。

 

頓所:
短大時代に情報コミュニケーションを学んだこともあって、記者を目指していた時期があったんですが、家庭に入ったのを機に野球と同じように諦めていたのです。最近は女性のライターは珍しいのもあってか、野球の取材現場に呼ばれる機会が増えてきました。「高校野球・新潟大会展望号」や「Standerd新潟」といった雑誌の取材に関わらせていただき、自分の文章が本に載った時はもう本当に感動しました!この歳で「記者になる」というもう一つの夢が叶うなんて、思ってもみなかったです(笑)。

 

取材経験が他の部分で生かせることもありますか。

 

頓所:
何事でもそうだと思いますが、必死に頑張っている時って、自分の思いを言葉で伝える余裕がないくらい夢中で懸命になりますよね。だから、取材ではそれぞれの選手が秘めている気持ちや頑張っている人の魅力を丁寧に伝えたくて、自分なりに「思いを引き出すこと」に力を入れてきたんです。取材の仕事をいただくようになって、野球に関わる仲間一人ひとりの長けているところや持ち味を引き出すには、こちらからどう接するかを意識できるようになったと感じています。

 

これからの夢を教えてください。

 

頓所:
女の子が野球をしているのが当たり前と思ってもらえる環境を、これまで以上に広めていくことです。いつまでも、女の子が野球をやっている=特別ということでは、ジェンダーレスの現代にそぐわないし、性別を問わず野球を楽しめる世の中でないと。私のポリシーとして、「みんなで一緒に楽しいと思えること」というのがあります。どれも一人で叶えられる夢じゃないから、仲間や野球に関わる皆の思いを尊重しながら何ができるかを考えていきたいです。その先の夢では、女子野球のクラブチーム、女子プロ野球チームをつくることですね!新潟アルビレックスBCであったらいいと思いますし、新潟医療福祉大学野球部の佐藤和也総監督も女子野球を広めたいと著書の中で語ってくださっています。新潟の女子野球をさらに発展させていくことは、地域貢献の一環としても考えています。

 

最後に、明和義人祭へのメッセージをお願いします。

 

頓所:
争いごとではなく話し合いで社会を変えていく、思いを通していく部分が私にドンピシャでした。これだけたくさん人がいるのだから、それぞれに考えがあって、その中で話し合っていくことは、まさに今の世界情勢にも求められることですよね。みんなで答えを出して進んでいく、そんな世の中になっていくためにも、もっと、もっと明和義人の歴史やお祭りに光が当たってほしいですね。

明和義人祭実行委員より文庫本「新潟樽きぬた」を寄贈させて頂きました。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。