「明和義人伝~モダンタイムズ~」第8回 : 佐藤俊輔さん

プロフィール

佐藤俊輔さん

新潟県新潟市出身。2008年に家業である()鈴木コーヒーに入社。自身が手がけた「雪室珈琲」は全国的なヒット商品となり、新潟市土産コンクールでは金賞を受賞。他にも多種多様の企業やコンテンツとのコラボなど、ユニークな商品づくりを行っている。2016年より()鈴木コーヒー代表取締役社長に就任。新潟バリスタ協会会長。株式会社SUPER FUTURE代表取締役社長。

「コーヒーのあるシーンでは、人は必ず幸せ」。
鈴木コーヒー社長・佐藤 俊輔さんはそうおっしゃいます。
独自の切り口でコーヒー関連の商品開発を行いながら、同時にSDGsへの取り組み、さらにはIT関連の会社も運営する佐藤さんに、人々の幸せな瞬間を創造することへの思い、そしてクリエイティブな街づくりにかける志について伺いました。

自信と現実のギャップに悩んだ日々

会社の概要とご自身の経歴を教えてください。

 

佐藤:
(株)鈴木コーヒーは1963年に僕の祖父が創業した会社で、2023年に60周年を迎えます。飲食店やホテルなど外食産業向けにコーヒーをはじめとする商品を販売するほか、新潟市のピア万代、新潟伊勢丹、長岡など6つの直営店も展開しています。僕は大学卒業後、渡米などいくつかの経験を経て、東京の大手コーヒーメーカーに営業職で入社しました。その時に経験した商売の面白さや人との繋がりの楽しさは、きっと鈴木コーヒーでも活かせるだろうと思い、27歳の時に実家に入ることを決めました。

 

新潟に帰り、家業に入社した時はどんな印象を受けましたか?

 

佐藤:
前の会社で成功したことで、僕は大天狗になって帰ってきました。それまで東京のスピード感で動いていたので、新潟の緩さに違和感を覚え、自分より年上の上司たちにも偉そうに振る舞っていたのです。そのせいで、元からいた社員に「あなたにはついていけません」とたった半年で言われてしまった。営業職には自信があっても、組織マネジメントはまるでできていなかった。そこで反省し、一から自分を叩き直さなければと思って今一度営業からスタートしました。それが僕の鈴木コーヒーでの本当の始まりだったと思います。

出会いが運んでくれた大きなチャンス

営業を続ける中、ターニングポイントになったことは?

 

佐藤:
僕は上越エリアを担当していたのですが、ある時お客さまに「佐藤くん、『雪室』って知ってる?」と聞かれました。日本古来の雪国ならではの知恵で、そこで食品などを貯蔵するとおいしく生まれ変わるという話を聞き、「雪室で寝かせたコーヒーを開発したい」という思いが湧いてきました。本来コーヒーは赤道直下の国の作物で、日本では栽培もできないし、特産性を謳うこともできません。それが、雪室を活用することによって特産性のあるコーヒーになるのではないかと思ったのです。それからというもの、1人で上越市の安塚の雪室へ通って商品開発を行い、車に積んで練り歩いて販売を続けました。そんな中、(株)アドハウスパブリックの関本社長が声をかけてくださったのを機に、コーヒーに限らず、お肉、お米、野菜などの業者さんが集まって、あれよあれよと雪だるま方式で「越後雪室屋」というブランドが出来上がったのです。それからは飛ぶ鳥を落とす勢いで「雪室珈琲」が注目され、おかげさまで今では全国で販売させていただいています。

 

「雪室珈琲」の後にも、新たなヒット商品が開発されているとか。

 

佐藤:
はい。その一つが、今回のコロナ禍で苦境が続く新潟古町芸妓とのコラボコーヒー「ふりそでさん」「とめそでさん」の販売です。コーヒーの高級品種「ゲイシャ種」という豆を使用、芸妓さんたちにブレンドしてもらったもので、売上の一部を彼女たちにバックできるような仕組みになっています。新潟の誇る文化や資源を、コーヒーを通じてPRするということで、多くの方に好評をいただいております。

自分たちが幸せになれる仕事をしよう

佐藤さんが社長に就任されてから、会社にはどんな変化がありましたか?

 

佐藤:
「雪室珈琲」がようやく認められ、僕は社長として会社の経営理念を新しく変えました。「社員の幸福」「地域の貢献」「変化することを文化にする」、この3つです。コーヒーのあるシーン、それは絶対に幸せなシーンです。ポジティブになりたい時、朝の目覚め、彼氏彼女とカフェに行く時…。僕らは人に幸せを販売しているのだから、まず自分たちが幸せじゃないといけない。それには仕事がワクワクするものでなければ。その中で生まれた言葉が「CRAZY BRANDING」です。「クレイジー」はネガティブに使われることが多いですが、「熱狂的な」「素晴らしい」といった意味合いもあります。これが意味するのは、「1000人のお客さまよりも100人の熱狂的なファンを作ろう」。自分たちが幸せになることと、他がやっていないこと。これらを基軸として考えています。

復興応援やSDGsへの思いをコーヒーに込めて

御社の商品開発のプロセスには、どんな特徴がありますか?

 

佐藤:
東日本大震災を経験した福島県出身の社員が、入社2カ月目で企画した商品があります。彼の故郷・飯館村の姉妹都市であるラオス産の豆を使ったコーヒーで、クラウドファンディングをしてその一部を村の植樹に充てるというものです。商品は半年後には製品化され、いろんな所で販売してもらうことになりました。通常の会社は営業部・総務部・企画部と縦軸になっていると思いますが、うちの場合は横に串刺しするように、もう一つ、通称「プロジェクト」と呼ぶ部署があります。営業部では一主任かもしれない人が、このプロジェクトではリーダーになる。入社の年数も関係ありません。月に1回30分、すべての会議に僕が決裁者として入っているので、スピード感を持って開発でき、どんどん形になっていきます。

 

 

SDGsに関してはどんな考えをお持ちですか?

 

佐藤:
コーヒー屋として絶対に取り組まなくてはいけない課題だと思っています。今、新型コロナウイルスや戦争などの影響によりコーヒー豆は高騰、また気候変動などの要因で今まで採れていた量のコーヒーが世界中で採れなくなってきています。これが続くと、我々は商売ができなくなる。SDGsは、1社が100歩歩くより100社が1歩歩くことが重要で、自分たちだけでなく、多くの企業さまと一緒に推進していきたいというのが最終的な目標です。最近の例で言うと、新潟市の国際外語・観光・エアライン専門学校(AIR)の生徒さんたちと一緒に開発した商品「ビーンズブロッサム」もその一つ。コーヒーを淹れた後の抽出かすを肥料にして、プランターに花を咲かせる。すごく小さな取り組みかもしれませんが、少しでもSDGsの啓発になればいいなと考えています。

新潟をもっとクリエイティブな街に

新たに立ち上げた(株)SUPER FUTUREはどんな会社ですか?

 

佐藤:
僕は、これから世の中で生き残る仕事は3つしかないと思っています。1つ目がクリエイティブなもの、2つ目がディレクション、3つ目がおもてなし。それ以外はDX(デジタル・トランス・フォーメーション)により、機械に取って代わる。つまりDXを推進することは、人しかやれないことの最大化だと定義しているのです。パソコンが自動で動くRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)を導入することで、非生産性の業務よりも生産性のある業務に携われるようになる。人材不足が叫ばれる中、こういったシステムで新潟の中小企業を元気にしていきたいのです。2020年4月に創業したこの会社は、僕にとっては全く新しいジャンル。すごく刺激的ですね。

 

 

明和義人祭に対すること、メッセージをお願いします。

 

佐藤:
2019年度の明和義人祭に参加して、すごく楽しかった記憶があります。明和義人という人たち、いわゆる町民と言われる方は、自分たちの課題を話し合いで解決してきた。新潟人というのはおそらく、そういった自治力がDNAとして備わっているのだろうと思っています。新潟に住まう人たちの使命として、すべての課題に向き合って、全員が明和義人になる。そんな世の中になっていただきたいなと切に願います。

明和義人祭実行委員より文庫本「新潟樽きぬた」を寄贈させて頂きました。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。