「明和義人伝~モダンタイムズ~」第5回 : 丸山健太さん

プロフィール

丸山健太さん

(株)ソルメディエージ代表取締役。2003年、映像コンテンツ制作・ウェブ・グラフィックデザインなどを手がける()ソルメディエージを設立。2011年頃、日本でまだあまり周知されていなかったプロジェクションマッピング事業に着手、各地での映像作品が大きな話題を呼び、国内外でその名を知られることに。現在は一般財団法人プロジェクションマッピング協会理事、新潟ベンチャー協会理事を務め、業界を牽引している。

最新鋭の映像機器とシステムを備えたバーチャルスタジオや、さまざまな用途に活用できるスペースを含む100坪オーバーのスタジオ兼オフィスをオープンさせた、丸山健太さん。
真新しいホームを構え、さらなる挑戦に向かう丸山さんに経営者、クリエイターとして思い描くメディア業界の展望をお聞きしました。

今や常識となった配信の、さらに一歩先へ

現在は、どんなお仕事を手がけていますか?

 

丸山:
コロナ前はイベント関係やイルミネーション、プロジェクションマッピングのプランニングなどで日本中動いていましたが、イベント自体が激減してからは、結構プロデュースの仕事が多いです。店舗の空間デザインでは、設計をするというより映像を使ってシステムを組んだり、空間上に映像を映したり。また、施設自体をアミューズメント化する場合もあります。新潟空港にLEDのパネルで大きいビジョンを作ったりもしました。映像と照明を使った空間づくりというケースや、私達の主軸であるWEBやPVといった仕事も多かったですね。ある意味、初心に戻れた期間がこの12年は多かったと思います。

 

新型コロナウイルスの影響で、映像業界はどう変化しましたか?

 

丸山:
一番大きな変化は何といっても配信ですよね。配信は急速に僕らの生活に定着して、今ではリモートが当たり前。それまでホテルなどでやっていた学会や講演会も配信に切り替わりました。ただ、配信自体がコロナでの代替案としての考え方や、コンテンツや表現の乏しさから苦しんでいる方が多かったのもあり、テクノロジーの力で逆風を起こせないか?と考えていました。むしろ配信は、この現状における一つの選択肢、可能性になってきている。それならコロナが終わった後も、配信自体のクオリティーを上げて、スピード・低コスト・高クオリティーと、多くの人が喜ぶコンテンツにプロとして我々に出来る事があるのではないか。それが、このバーチャルスタジオを作ろうと思ったきっかけです。業界的には、コロナを境に、というよりは技術的なものがソフトやハードも含めて一気に進化したというのもあります。また、多くの情報が手に入る様になりましたね。

 

このスタジオでは、どんな映像手段が可能になるのですか?

 

丸山:
バーチャルスタジオを使った配信や収録関係です。講演や会議でいうと、通常は人が話して、プロジェクターを写すとか、それを何台かのカメラで撮って配信するとか、あとはZoomを使ったりすることがほとんどですよね。そうではなく、バーチャルセットを使えば好きな形で講演や会議ができるようになります。極端なことを言うと、遠方の人を僕の隣に座らせることも可能になる。スピードとコストと表現力が圧倒的に違うというのも特徴です。今までいろんな場所で、いろんな労力をかけてやっていたことが、この場で効率よくできてしまうので、今後の配信や撮影のあり方も変わってくるのではないかなと思っています。

日本・地方のプロジェクションマッピングの先駆者として

話は前後しますが、「ソルメディエージ」を立ち上げた頃のことを教えてください。

 

丸山:
クラブカルチャーが盛んだった2000年頃、僕はもともと音楽のDJや、映像を扱うVJ(ビデオジョッキー、ビジュアルジョッキー)をやっていました。当時は、それまで業者や専門の人しか作れなかった映像が、急に身近なものになって、自分たちでも作れるようになってきた時代。今の子たちがYouTubeで動画をアップしているのと同じような感覚でした。それがきっかけで、映像やウェブ、デザインをやる人間が集まって始めたのがうちの会社です。それ以来、時代時代で新しいことに手を出してきたなと思います。僕が映像をやり始めてから10年目あたりでプロジェクションマッピング、20年目あたりで配信という感じでしょうか。

 

ターニングポイントとなったプロジェクションマッピング、そのきっかけは?

 

丸山:
2011年の震災で全く仕事がなくなって、僕らがやっていることはこの世の中で全く意味を成してないんじゃないか、何か始めなければ…と思っていた頃、YouTubeで海外のマッピング映像を見ました。彼らができるなら僕らもできる、やるんだったら新潟で最初にやらなければと思い、ヨーロッパから早速ソフトを手に入れて始めることにしました。まずは友人の結婚式で、会場として使った「みなとぴあ」の建物に映像を映すということをやってみたら、思った以上にうまくいった。その後、カーディーラーのプロモーションイベントで、車体に映像を映している動画をYouTubeに上げたら結構見ている人がいて、仕事の依頼が徐々に増えていきました。

新潟から県外、世界へとつながる挑戦を

新潟市のイベントやまちづくりでも、光や映像の演出を担当されていますね。

 

丸山:
もともと僕は大学を出てから照明屋の仕事をしていたので、映像や照明のノウハウはありました。マッピングを始めた当時、新潟市が姉妹都市のナント市を視察し、フランスでは光や映像が当たり前のようにまちづくりに取り入れられている、新潟市でもできないかという話が上がったそうです。依頼するには東京の業者か? いや、新潟でやっているところがあるぞ!となってうちに声がかかり、「ラ・フォル・ジュルネ」や「光の響演」、みなとぴあのイベントを引き受けることになったのです。マッピングやイルミネーションという手法で自分の住む街がにぎやかになればいいなと、やりがいを持って取り組みました。県外の仕事もたくさんやってきました。沖縄の首里城の復興マッピングとか、長崎県の出島の城壁に映すマッピングを最初にやったり。東京以外の会社としては、だいぶ早くにスタートさせていたと思います。

 

新潟を拠点にしていることにこだわりはありますか?

 

丸山:
よく言われるのが「何で東京に会社を移さないの?」ということ。それはやっぱり新潟が好きだからです。というか、逆に面白い人たちは今、新潟に戻ってきていますよね。僕も東京で就職して帰ってきた1人ですが、こっちで仕事を始める時、助けてくれる人が周りにたくさんいたことには本当に感謝しています。今はスタートアップというといろんな行政だとか団体が支援してくれますが、僕らの時はそういうものはなかった。その代わり、面倒見の良い先輩や仲間たちが、「おまえ会社始めたの?うちのホームページ作ってよ」とか、いろんなチャレンジをさせてくれました。今は僕がそういう立場になってきたので、「俺もガンガン進むから、みんな続け」という思いは持っていたいですね。

こんな時代だからこそ自分で耕し、前へ進みたい

今後のビジョン、未来への思いを教えてください。

 

丸山:
今コロナや戦争など、世の中が前のめりに変化していて、輝かしい未来を感じにくくなっていますよね。だからこそ、「だったらこういう生き方にすればいい」とか、「こういうところを楽しみながらビジネスにしていこう」と発想して自分で耕していく人、面白がって前に行く人のほうが、仕事も生活もうまく回っていくのではないかと思います。「こんな時によくやったな」と言われるほど、嬉しいじゃないですか。いろんなバリアが解けて、時代がもう少し自由になった時、ビジネスで勝負したい人はどんどん海外にも出ていくでしょう。僕はそれを新潟でやりたいと思っているので、同じような思いを持つ人が新潟に集まるといいなと思います。全国から「新潟はやばいね!」と思われたいですね。

 

明和義人祭に期待すること、メッセージをお願いします。

 

丸山:
こういう混沌とした時代だからこそ、みんなを動かすリーダーが必要だし、世の中を変えていくのはそれに賛同する人たちだと思います。新潟の人は消極的で物静かというイメージが強いかもしれませんが、ちょっと跳ねた人も結構いますから(笑)。そういう人たちが新しいことを生み出し、新たな風潮をつくっていくのではないでしょうか。今一度、明和義人の歴史を感じる時かもしれませんね。

明和義人祭実行委員より文庫本「新潟樽きぬた」を寄贈させて頂きました。

「明和義人伝~モダンタイムズ~」とは

明和義人に準え、現代で『勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開こうとしている人』にスポットをあて、今までになかったものを始めようと思った原動力や、きっかけ、そして具体的な活動内容を紹介します。新しいことを始めようとしている方の一助となれれば幸いです。